アートから見た不自由展、『文化を殺す』のは文化庁ではなく作家たち自身!
2019/11/03

あいちトリエンナーレ2019「表現の不自由展・その後」の展示作品より
11月3日は「文化の日」。
日本の国民の祝日の一つですが、元々は明治天皇の誕生日にあたり、明治期には「天長節」、昭和初期には「明治節」と呼ばれていました。
余談ですが、「文化の日」を本来の由来に合わせて「明治の日」に改称しようという運動もあるようですね。
さて、今日は明治天皇ではなく、昭和天皇に関係する話です。
この夏、元慰安婦を象徴する「平和の少女像」や昭和天皇の御真影を燃やす動画が問題になった「表現の不自由展・その後」をアートの視点で考えたいと思います。
ミヅマアートギャラリーを開廊されている三潴末雄氏の話が明快ですので、ご紹介します。
11月3日付の産経新聞(黒沢綾子記者)からの抜き書きです。
――「表現の不自由展・その後」をめぐる騒動を振り返って
「そもそも不自由展がなぜ長期間、公開中止となったのか。脅迫は言語道断だが、抗議の殺到など外的圧力にのみ理由を求めるのではなく、企画自体が公的イベントの中で行うにふさわしい内容だったのか、基本的議論が欠けたままになっている」
――芸術祭(あいちトリエンナーレ2019)を鑑賞した感想を
「不自由展を除く芸術祭全体としては、現代社会の暗部に踏み込んだ見ごたえある作品が多く、芸術の専門家であるキュレーター・チームの企画を理解できた。一方、不自由展のいくつかの作品には、主義主張をあからさまに表す未熟さ、手法の旧(ふる)さを感じた。元慰安婦像を象徴する少女像、国旗や政治批判の紙を貼り付けた“円墳”…。アートを政治主張の道具にしてほしくないが、やるならせめてメタファー(暗喩)やユーモアが必要。深い部分に毒を仕込むべきで、毒まんじゅうが毒まんじゅうと分かる作品はダメだ」
――文化庁の補助金不交付決定に、「文化を殺すな」との反発もある
「『文化を殺す』のは補助金を出さない文化庁ではなく、補助金がなければ文化活動を果たせないと主張する作家たちだ。表現の自由を盾に検閲だ、人権侵害だと訴える作家に言いたい。公金で、公的な場所で無制限に何でもできる自由はどこの国にもない。日本より自由が制限されている国でも、作家は同じことを言うために別の方策を講じるなど、命がけで制作している。実践と内省が彼らの表現を強く、深くさせる。デモでスローガンを掲げるより、芸術的実践の中で闘って初めて、表現の自由は勝ち取れる。作家には『アトリエに帰れ』と言いたい」
当ブログからひとこと言わせてもらえば、「平和の少女像」はいかにもな名前が付いていますがアートではありません。
歴史を歪め、日本を貶める、韓国の「反日プロパガンダ」の道具に過ぎません。
日本人による韓国人慰安婦の強制連行を示す文書はひとつもなく、ましてや「性奴隷」などという不当なレッテルを貼られる「いわれ」はないのです。
日本や日本人の名誉を著しく損なう慰安婦問題の象徴、慰安婦像は、芸術祭に展示されるべきものでもなければ、大使館前や公園に置かれるべきものでもないとはっきりと申し上げておきます。
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