米国慰安婦像撤去訴訟の原告の1人で、「歴史の真実を求める世界連合会」(GAHT)代表の目良浩一(めら・こういち)さんが17日、米プリンストンの自宅で死去しました。86歳でした。
目良さんは2014年に米カリフォルニア州グレンデール市内の公園に設置された慰安婦像の撤去を求め、同市を提訴、裁判は最高裁まで争いました。勝訴は叶わず、像の撤去には至りませんでしたが、その後も、英語で慰安婦問題に関する著書「COMFORT WOMEN NOT ”SEX SLAVES”(慰安婦は性奴隷にあらず)」などを出版、日本の名誉のために尽力しました。
サンフランシスコの慰安婦像は痛恨の極み
産経新聞の連載によれば、目良さんは「この裁判が成功しなかったこともあって、米国内の数カ所で慰安婦像を建てる動きが出てきた。南部ジョージア州アトランタでは、領事館などの動きによって計画中止に追い込んだが、隣接する同州ブルックヘイブンでは、日本側の抵抗にかかわらず、慰安婦像を建てられてしまった」とし、とくに2年がかりで準備されて建てられたサンフランシスコの慰安婦像は「米国の大都市の公園に慰安婦像が建った第1号。痛恨の極みである」と語っています。

サンフランシスコ公聴会で発言する目良浩一さん(2015年9月17日)
国際理解を得るチャンスを逃した日本政府
2017年にはジュネーブの国連に行き、人権理事会の「普遍的、定期的レビュー」における日本に関する作業グループの審査を傍聴しています。傍聴した感想を目良さんは次のように語っています。
「そこで100以上の国が日本の状況について注文を付けたのである。しかも、ほとんどの国は、日本について詳細な知識を持っていない」「かなり多数の国が、『死刑制度』の廃止や民族、男女別、性的指向などによる差別を撤廃することを要望した。それに対して、日本政府代表団は、日本の実情を説明して、多くの要望が実情に合わないとして、毅然(きぜん)と拒否した。当然のことであるが、この会合は、内政干渉を目的としたものである。そして、この不毛な会合を慰安婦についての認識を改めるには絶好なチャンスであった。しかし、政府は、混乱した説明でその機会を無駄にした」
その説明というのが、「岡村善文人権担当大使は明瞭な英語で説明していたが、慰安婦について『日本は謝罪してきており、償い金を支払っている』と説明する一方で、他の日本代表は『慰安婦の強制連行はなかったし、性奴隷ではなかった』と主張したのである」
この件について、外務省は公式ページで「我が国政府の立場と相容れないものや事実に反するものについては、日本政府代表団からその場で然るべく日本政府の立場を説明、反論した」としていますが、目良さんは「このような内部矛盾を含んだ説明では、正しい国際理解は得られない。日本政府は、謝罪してきたことに触れず、当時の東アジアの社会情勢において、慰安婦であることは社会的に認められていた職業であったことを明確に述べるべきであった」と指摘しています。
グレンデ裁判当時、日本外務省「慰安婦問題は外交問題でも国際問題でもない」
外務省に関して目良さんは、グレンデールの慰安婦像の撤去裁判の際、外務省に「意見書」を要請しましたが、「慰安婦問題は、外交問題でも、国際問題でもないので対処できません」とけんもほろろで、苦しい思いをしたと述懐しています。
民間人が日本の名誉のために米国で闘っているというのに、慰安婦問題が「外交問題」でも「国際問題」でもないと突き返した、当時の外務省の認識の甘さ、当事者意識の無さにはあきれるばかりです。
さすがに今はこんな戯れ言は言わないでしょうが、5年ほど前にはその程度の認識しかなかったことが窺い知れます。
慰安婦問題は韓国が仕掛けた歴史戦、反日プロパガンダ戦です。
朝日新聞の嘘から始まった慰安婦問題は外務省の「事なかれ主義」のために国際問題化し、世界は日本軍による強制連行があった、従軍慰安婦は「性奴隷」だと誤解してしまいました。
一度広まり、それが事実であるかのように定着してしまったら、それを覆すのは容易なことではありません。
5年前のグレンデール市の人口は20万人で韓国系の市民が1万2000人、韓国系の市会議員が5人いました。
当時、米国で現地取材した北岡俊明さん、正敏さん兄弟が「正論」に寄稿した記述によれば、韓国はこの5人を韓国で接待し、慰安婦像の設置を工作したといいます。
韓国本国と現地が一体となってやっているので、民間のボランティア活動が中心の日本のやり方ではとても太刀打ちできないと、現地の日系人が漏らしことを伝えています。
韓国人は中国人同様に親族を呼んで集中的に居住する傾向があり、現地に溶け込まないため、町にはハングルが溢れるといいます。「リトル東京」と呼ばれ、日系人が営々と築いてきた町が、後から大挙して住みついた韓国系によって壊されていったのです。日系社会の歴史や文化とともに。
正しい国際理解を得るためには英語の発信が重要
東大、米ハーバード大で学び、ハーバード大や筑波大、南カリフォルニア大で教授などを務めた目良さんは、70歳を過ぎてから、日本の名誉を守るための活動を続けてきました。
その目良さんが何より強調するのは、英語による発信の重要性だったといいます。
また韓国が慰安婦を「性奴隷」とみなすのに対し、目良さんたちは「風俗営業勤務者」とみなしていました。「売春婦」と口汚く罵るのではなく「風俗営業勤務者」です。
晩年を日本の名誉回復のために捧げた目良さんの遺志を、日本政府や外務省はじめ、志ある日本人は継がねばなりません。
ブログ上で恐縮ですが、目良さんのご冥福をお祈り申し上げます。
↓「中国や韓国との歴史戦、目良さんの遺志を多少なりとも継がねば!」と思っていただけた方はクリックをお願いします。


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■目良浩一さんの著書 ご紹介


アメリカに正義はあるのか グレンデール「慰安婦像」撤去裁判からの報告


マッカーサーの呪いから目覚めよ日本人!
目良さんは2014年に米カリフォルニア州グレンデール市内の公園に設置された慰安婦像の撤去を求め、同市を提訴、裁判は最高裁まで争いました。勝訴は叶わず、像の撤去には至りませんでしたが、その後も、英語で慰安婦問題に関する著書「COMFORT WOMEN NOT ”SEX SLAVES”(慰安婦は性奴隷にあらず)」などを出版、日本の名誉のために尽力しました。
サンフランシスコの慰安婦像は痛恨の極み
産経新聞の連載によれば、目良さんは「この裁判が成功しなかったこともあって、米国内の数カ所で慰安婦像を建てる動きが出てきた。南部ジョージア州アトランタでは、領事館などの動きによって計画中止に追い込んだが、隣接する同州ブルックヘイブンでは、日本側の抵抗にかかわらず、慰安婦像を建てられてしまった」とし、とくに2年がかりで準備されて建てられたサンフランシスコの慰安婦像は「米国の大都市の公園に慰安婦像が建った第1号。痛恨の極みである」と語っています。

サンフランシスコ公聴会で発言する目良浩一さん(2015年9月17日)
国際理解を得るチャンスを逃した日本政府
2017年にはジュネーブの国連に行き、人権理事会の「普遍的、定期的レビュー」における日本に関する作業グループの審査を傍聴しています。傍聴した感想を目良さんは次のように語っています。
「そこで100以上の国が日本の状況について注文を付けたのである。しかも、ほとんどの国は、日本について詳細な知識を持っていない」「かなり多数の国が、『死刑制度』の廃止や民族、男女別、性的指向などによる差別を撤廃することを要望した。それに対して、日本政府代表団は、日本の実情を説明して、多くの要望が実情に合わないとして、毅然(きぜん)と拒否した。当然のことであるが、この会合は、内政干渉を目的としたものである。そして、この不毛な会合を慰安婦についての認識を改めるには絶好なチャンスであった。しかし、政府は、混乱した説明でその機会を無駄にした」
その説明というのが、「岡村善文人権担当大使は明瞭な英語で説明していたが、慰安婦について『日本は謝罪してきており、償い金を支払っている』と説明する一方で、他の日本代表は『慰安婦の強制連行はなかったし、性奴隷ではなかった』と主張したのである」
この件について、外務省は公式ページで「我が国政府の立場と相容れないものや事実に反するものについては、日本政府代表団からその場で然るべく日本政府の立場を説明、反論した」としていますが、目良さんは「このような内部矛盾を含んだ説明では、正しい国際理解は得られない。日本政府は、謝罪してきたことに触れず、当時の東アジアの社会情勢において、慰安婦であることは社会的に認められていた職業であったことを明確に述べるべきであった」と指摘しています。
グレンデ裁判当時、日本外務省「慰安婦問題は外交問題でも国際問題でもない」
外務省に関して目良さんは、グレンデールの慰安婦像の撤去裁判の際、外務省に「意見書」を要請しましたが、「慰安婦問題は、外交問題でも、国際問題でもないので対処できません」とけんもほろろで、苦しい思いをしたと述懐しています。
民間人が日本の名誉のために米国で闘っているというのに、慰安婦問題が「外交問題」でも「国際問題」でもないと突き返した、当時の外務省の認識の甘さ、当事者意識の無さにはあきれるばかりです。
さすがに今はこんな戯れ言は言わないでしょうが、5年ほど前にはその程度の認識しかなかったことが窺い知れます。
慰安婦問題は韓国が仕掛けた歴史戦、反日プロパガンダ戦です。
朝日新聞の嘘から始まった慰安婦問題は外務省の「事なかれ主義」のために国際問題化し、世界は日本軍による強制連行があった、従軍慰安婦は「性奴隷」だと誤解してしまいました。
一度広まり、それが事実であるかのように定着してしまったら、それを覆すのは容易なことではありません。
5年前のグレンデール市の人口は20万人で韓国系の市民が1万2000人、韓国系の市会議員が5人いました。
当時、米国で現地取材した北岡俊明さん、正敏さん兄弟が「正論」に寄稿した記述によれば、韓国はこの5人を韓国で接待し、慰安婦像の設置を工作したといいます。
韓国本国と現地が一体となってやっているので、民間のボランティア活動が中心の日本のやり方ではとても太刀打ちできないと、現地の日系人が漏らしことを伝えています。
韓国人は中国人同様に親族を呼んで集中的に居住する傾向があり、現地に溶け込まないため、町にはハングルが溢れるといいます。「リトル東京」と呼ばれ、日系人が営々と築いてきた町が、後から大挙して住みついた韓国系によって壊されていったのです。日系社会の歴史や文化とともに。
正しい国際理解を得るためには英語の発信が重要
東大、米ハーバード大で学び、ハーバード大や筑波大、南カリフォルニア大で教授などを務めた目良さんは、70歳を過ぎてから、日本の名誉を守るための活動を続けてきました。
その目良さんが何より強調するのは、英語による発信の重要性だったといいます。
また韓国が慰安婦を「性奴隷」とみなすのに対し、目良さんたちは「風俗営業勤務者」とみなしていました。「売春婦」と口汚く罵るのではなく「風俗営業勤務者」です。
晩年を日本の名誉回復のために捧げた目良さんの遺志を、日本政府や外務省はじめ、志ある日本人は継がねばなりません。
ブログ上で恐縮ですが、目良さんのご冥福をお祈り申し上げます。
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アメリカに正義はあるのか グレンデール「慰安婦像」撤去裁判からの報告
マッカーサーの呪いから目覚めよ日本人!
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