
自民党の石破茂元幹事長が「なぜ韓国は『反日』か。もしも日本が他国に占領され、(創氏改名政策によって)『今日から君はスミスさんだ』と言われたらどう思うか」と講演で語ったと朝日新聞が報じました。
日本の統治時代に行われた「創氏改名」は、朝鮮総督府が昭和14年11月に公布した朝鮮民事令改正と「朝鮮人の氏名に関する件」という制令によって、翌15年2月から実施されました。
「創氏改名」は新たに「氏」を創設させ、「名」を改めることを許可した政策です。
石破氏の「創氏改名」話にウソ
しかし、石破氏が講演で語った「今日から君はスミスさんだ」という話は、間違っています。
この言い方だと、「スミス」は統治国(韓国の場合は日本)に押しつけられた「氏」ということになりますね。
ですが、この制度では「氏」は戸主が自分で選べたのです。
しかも、従来の「金」や「李」をそのまま「氏」としたければ、「届出をしないで放って置けばよい」(総督府法務局『氏制度の解説』昭和15年2月)とされていました。
事実、「創氏改名」をしなかった著名人も多数います。
陸軍中将の洪思翊、陸軍大佐の金錫源、満州国軍中尉の白善燁、舞踏家の崔承喜、2度衆議院議員に当選した朴春琴…。
朝鮮風の姓で「法定創氏」された人々が相当の比率で存在したことは当時の新聞などでも明らかです。
過去には麻生太郎氏のまともな「創氏改名」発言に、言われなき批判も
過去にも「創氏改名」に関する発言が問題となったことがありました。
2003年、麻生太郎政調会長が東京都内の講演で「創氏改名は朝鮮の人たちが望んだ」と述べたときのことです。
およその内容はこうでした。
「当時、朝鮮の人たちが日本人のパスポートをもらうと、名前の所に『金』とか(朝鮮名が)書いてあった。それを見た満州の人たちが『朝鮮人だな』と言って仕事がしにくかった。だから名字をくれ、と言ったのがそもそもの始まりだ」
麻生氏の発言に対し、日本国内では朝日や毎日、東京などの新聞が騒ぎ立て、韓国では外交通商省が謝罪を求めるなど批判が高まりました。
今と変わらない構図ですね。
折しも、韓国の盧武鉉大統領の訪日を直前に控えていた時でしたので麻生氏は謝罪しましたが、制度創設のきっかけにそうした背景があったことは確かで、麻生氏の発言は間違いではありませんでした。
こんなエピソードがあります。
この件について自民党総務会で野中広務が麻生氏を批判したのですが、その場にいた奥野誠亮氏は「野中君、君は若いから知らないかもしれないが、麻生君が言うことは100%正解だよ。朝鮮名のままだと商売がやりにくかった。そういう訴えが多かったので、創氏改名に踏み切った。判子をついたのは内務官僚、この私なんだ」とたしなめたといいます。
奥野氏は敗戦後の占領期は地方税財政のエキスパートとして連合国軍総司令部(GHQ)と渡り合い、衆議院議員として派閥全盛の時代に無派閥を貫いた人です。
また歴史問題や憲法改正問題で筋の通った主張をした保守派の論客として知られ、文相、法相、国土庁長官などを歴任しています。
奥野氏にたしなめられた野中広務の顔が見たかったですね。
次の首相に絶対にしたくない政治家・石破茂
9月に行われた産経新聞社とFNN(フジニュースネットワーク)の合同世論調査で、次の首相にふさわしい政治家を尋ねたところ、トップは安倍首相の17.3%で、石破茂元幹事長が16.0%でした。
石破茂という男は、事あるごとに政府批判、安倍批判をして、政権の足を引っ張ってきました。
NHKや朝日新聞など反日・売国メディアが喜びそうな発言をして、いびつな「存在感」を示すのですが、ネットでは後ろから鉄砲を撃つ男として、その卑劣さがすっかり定着しています。
戦後最悪と言われる日韓関係について、先の講演で石破氏は戦前の朝鮮半島統治で日本が「創氏改名」などを進めた歴史的背景を考えるべきだと指摘したようですが、石破氏こそ、歴史的背景をきちんと押さえ、「創氏改名」が実際にどういうものであったのか、正しい歴史認識を持っていただきたいですね。
個人的には絶対に首相にしたくない政治家の一人だと申し上げておきます。
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